神社の歴史
御祭神について
波折神社は、瀬織津姫大神(または貴船神とも称す)、住吉大神、志賀大神の三神を祭神としています。
瀬織津姫大神は、罪や穢れを祓い去る祓戸の神様、住吉大神は、航海安全・豊漁・国家守護の神様、志賀大神は、開運の神様で、津屋崎の氏神として地域の方々が永年守ってまいりました。
歴史について
縁起によれば、
神功皇后の新羅を遠征せられ凱陣し給い時に、この三神、当浦渡村鼓島に現れ給いしにより皇后、この浦の岡分、河原崎の宮之本という地字に、神垣を造りて、斎祀せらる昔この浦の漁夫三人、沖に出て釣りせしが、大風荒波に遭い、雷鳴さえも加わり、海、大いに振動す故に漁夫、諸共に、この三神に救いを祈りし処、忽ち御姿を表し給い、隆起する波穂の上に立ち給いて、雲の如き波頭を御袖にあげて打ち払い給うと見えしが、逆巻く荒波は見る間に治まり遥かの沖に折り過ぎ、暫時、海上静かとなりし故、荒波を折って、辛うじて船は鼓島に漂着。風待ちすること三日、飢え迫りし折柄、再び先の三神現われ給い、飲食を与え給う。これを食すと覚えしが、忽ち人ここちつき、力の限り波濤を凌ぎて、この浦に漕ぎ着けたり、初め三神の船上に現われ給いし跡に、三箇の石あり、これを漁夫捧持して祭れり、これより波折大神と称し奉る。
かくて、いにしえ彼の河原崎の宮之本に祭られしより、時移り八十四代順徳天皇の承久三年此処に移し奉る。
とあります。
わかりやすくご説明しますと、
その昔、漁師3人が沖合で釣りをしていると、急に海が荒れ始め、漁師たちが神様に祈ると、三柱の神様が現れ、その神様のはたらきにより荒波を折り、なんとか鼓島に漂着して、波風が収まるのを待つことができました。待っている間に食料がなくなると、再び神様が現れて食べ物を与え、飢えをしのぐことができたそうです。
波風が収まって神様が去った後、船には3つの石があり、漁師たちはそれを持ち帰って御神体とし、社を建てました。
承久三(西暦1221)年に、現在の地に神社を移転し、今日までの800年間、津屋崎の氏神として大切にされてきました。